はーい。こんにちわー。
元気堂です。
鍼灸というと、鍼管という筒を使っているのは、イメージがあるかと思います。
この鍼管は、中国?台湾?から来たのでしょうか??
実は、日本人が発明しました。昔から日本の人は、入ってきた物を試行錯誤して良いものを作る気質を感じます。
料理にしても、ラーメン・餃子・カレーも日本アレンジは美味しいですね。
今回は、今や当たり前、鍼管を作った杉山和一という偉人について話していきます。
杉山 和一は、こんな人だった!?
杉山和一は、江戸時代に活躍した鍼師であり、管鍼法を発明した方でした。この杉山和一は、武家出身であるが、幼いときの病気により失明しています。
そこで、鍼師を目指し17歳で江戸に向かい、鍼を学ぶために入門しました。
ここで、問題が起きます・・・。
この杉山和一は、残念な事に不器用だったのです。また、物覚えが悪く、22歳で破門されてしまいます。
昔の偉人も、このように失敗していると親しみが沸くところです。
さぁー、ここからどうしようか・・・?杉山和一は、考えます。
そうだ!!京都へ行こう!!皆さんもCMなどでも聞いたことがあるでしょう。
そして、江戸から京へ向かいます。
その際に、江ノ島を経由したときのことでした。江ノ島には、弁財天があります。そこで、御利益を耳にして、断食の修行に入ります。
杉山さん!??京はいいんですか?? 普通の方なら、そう思いますが、彼は違いました。
そのため、一時的に修行に入り、断食修行を終え帰ろうとしたところ、つまずいて気絶してしまいます。
修行もしたのに・・・。なんで、こんなに不幸が起こるのだろう・・・・。
しかし、この気絶により、杉山和一の人生が変わっていくこととなります。
気絶中、夢の中に弁財天が現れたのです。杉山和一は、拝もうとすると足に違和感を感じました。チクチクとした感触があるので気になり触ってみると、足下には葉っぱがくるまった松葉(鍼ような葉っぱ)があったのです。
これに、杉山和一は閃きました!!!
これが後に、鍼管を用いて治療をする管鍼法となります。この手法の発明により、鍼の技術がメキメキと向上します。そして、また再度、江戸に向かい開業します。
もう前とは違い、一流の鍼師の技術を持った杉山和一は、ひと味もふた味も違いました。
二度目の江戸では、その技術から大繁盛となりました。そこから、破竹の勢いは止まりません!!
61歳になると、盲目の方の位で、最高の検校という立場にもなります。そして、盲目の方のために、学習施設も作ります。多くの弟子が出来て、その技術を教えていきます。
75歳になると、その噂を聞きつけた将軍の綱吉も治療を頼み、患者となります。
また、杉山和一は、江ノ島の弁財天の崇拝しており、そのお墓も江ノ島にあるので、観光の際には寄ってみるのも良いかもしれません。
まとめ
今回は、現在の鍼灸師のほとんどが使用している管鍼法について深掘りしてみました。
この杉山和一 先生からは、鍼の事だけでなく、失明や破門などの挫折を繰り返しても、行動していくといった意志の強さ・行動力も参考になるかと思います。
また、自分が良いと思った物を広めたり、発明したりなど志向の柔らかさが凄いと思います。
普通は、葉っぱにくるまった松葉では、管鍼法は思いつかないでしょう。もしかしたら、自分の不器用さを日々どうするべきかを考えていたのかもしれません。また、断食直後で、頭が冴えていた可能性もあります。
今の鍼灸が、ここまで発展したのも杉山和一先生によるものが多いでしょう。
以上、参考になれば幸いです。
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