漢方薬を守った偉人【浅田宗伯】 医師が漢方薬を使わない訳とは??

はーい。こんにちわー。

元気堂です。

漢方を勉強しているのであれば、聞いたことがある偉人【浅田宗伯】という人物について話していきたいと思います。

浅田宗伯って、どんな人物??

幕末から明治にかけて、とても活躍した漢方医です。

本人の自伝によると、そんなに賢くなく愚鈍として幼少期を過ごしていたそうです。ただ、この浅田宗伯は志つまり夢を持つことで、その才能を開花していきます。

15歳から様々な医の師匠・塾生と勉学に育み、また議論を重ねていきました。

そして、22歳で江戸で開業に至ります。しかし、まだ無名の医師の一人でした。その時に出会ったのが、名前の由来にもなる本康宗円です。

この人物のおかげにより、当時の江戸の三大巨匠を顔合わせする事ができ、さらに医学・儒学を学んでいきます。

そこから町医者から医学において名を残す医者へと上り詰めます。

浅田宗伯が、ここまで上り詰めるまでには、いくつかの転機がありました。

サムネイル画像

第一転機・フランス公使 レオン・ロッシュ!!

レオン・ロッシュが腰痛・脊椎の痛みを訴えていました。そこで、優秀な西洋医を集めて治療を開始します。しかし、一向に良くならないために幕府は浅田宗伯に命じました。

浅田宗伯は、その命を受け、問診をし原因を突き止めます。それは、フランスで起こした落馬による後遺症と判断しました。

そして、漢方医として桂枝加苓朮附湯を処方します。

これが、効果覿面であり、服用後5日で痛みを消し去ったと言われます。この功績により、浅田宗伯の名前は、日本だけで無く、フランスにも轟かすのです。

第二転機・漢方医排斥運動!!

なんと、明治8年に法律で、漢方医を廃絶するという事が施工されたのです。そのため、医師の試験内容は、全て西洋の知識によるものになりました。

ここで、浅田宗伯は黙っていません!!

山田業広・森立之らが中心となり、漢方医学の存続運動を起こし『温知社』を設立し、漢方の排斥を守ってきたのです。

この他にも、多くの業績を残していきました。ここで漢方医学を存続させてくれたおかげで、漢方薬が残っています。

しかし、医師試験では西洋薬中心となったままです。薬学でも同じ事が言えます。

これが、漢方薬を使う医師が減った理由の一つとも言えます。

まとめ

漢方薬を使っている人は感謝しか無い浅田宗伯という人物についてでした。もっと知りたい方は、本を読んでみるのもいいでしょう。

排斥運動があったことは知らない人の方が多いのでは、ないでしょうか??

現在は、また認められてきているので、浅田宗伯 先生も安心しているでしょう。

以上、参考になれば幸いです。

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